静岡県内における有名リゾートは伊豆方面にがっつり集中。有名な温泉地だからねえ。
でも県内それ以外のエリアにもポツポツとイイお宿が点在しています。だいたい観光客を大量誘致してないので、いい意味で人少なく騒がしさとは無縁なのも心地よく過ごせます。
まさにそんな宿へ行ってまいりました。
(楽器音響の)ヤマハが手掛けるリゾートホテル「北の丸」です。
ちなみにこちらは一休.comダイヤモンド特典のある施設です。
ヤマハリゾート 葛城 北の丸
静岡市から車で1時間ほど。
すでに所有地内を走行しているはずなのになかなか到着しないほどの広大な敷地です。LPGAトーナメントも行われる名門ゴルフ場「葛城ゴルフ倶楽部」も敷地内にあるので、広大さのレベルは推して図るべし。
門構えがSAMURAI
現れたのは、風格漂う立派な門。

まるで日本の城か?豪族のお屋敷か?「時代劇みたい」とか安っぽい言葉で表現したくないけどちょっとしたタイムスリップ感があります。

周囲の景観含めた宿の玄関先としてこれほど世界観が完璧なお宿は初めてかも!

こちらが北の丸の玄関。
屋敷に入るまで心の中ではお殿様かお館様か・・そんな気分を味わせてもらいました。ふふふ。

時代劇さながらの純和風な外観から一転、館内はウッディの艶めきが素晴らしい和洋折衷な空間!

これほど贅沢な広さの中庭はそうそうないレベル。名門ゴルフコースを有する施設ゆえ芝のコンディションはさすがです。チェックイン時には他のゲストはいなかったので景色を独り占め。
スケールデカいお宿だなあ・・。

そしてさすがヤマハのグランドピアノ。
楽器制作には木が素材のものが多く、どうやらこの館内でも銘木というものにかなりこだわりがあるようです。
「北の丸」には北陸の古民家を再利用した貴重な美材の他、ヤマハが楽器メーカーや高級家具メーカーとして、良質の原木が市場に出ると「今は必要なくとも、いつか使える時が来るかもしれない」と、買い求め、備えてきた銘木がふんだんに使われています。
葛城北の丸 公式HPより

ロビーのソファに座って、お茶とお菓子のおもてなしをうけながらチェックイン手続き。館内は広く日本家屋的で単純なつくりでもなく施設を把握するの結構大変でした。
そのあと部屋まで案内してくれるのですが、結構歩く!

自然に雪の重みで曲がりながら成長した木の形をそのまま活かした階段の手すり木。この倒木ありきでこの館が設計されていました。
ヤマハの銘木にかける情熱は建築目線で見てもおもしろいのです。

棟には地元遠州瓦を見学してもらえるように作られたという渡り廊下も。
スポーツ業界との縁

雪曲がり銘木の階段をあがって、客室へ向かう途中に、ギャラリーのようなスペースがあります。
ゴルフクラブ(撤退することが決まったけど・・)などのスポーツメーカーでもあるヤマハはスポーツ関連でここを提供することもしばしば。

一番有名なのが日韓ワールドカップの日本代表合宿所になったこと。

非公開練習用にグラウンドまで作っちゃったからね。
36コースあるゴルフ場も含めると巨大な私有地で、ここならマスコミから完全シャットアウトできそう。ジュビロ磐田の前身はYAMAHA(発動機のほう)で、サッカー王国・静岡を代表する企業だったのもあるのかしらね。

ユニフォームの他にいい味だしてるトルシエ監督の必勝祈願も笑

ラグビーワールドカップの時は、アイルランドチームの合宿所だったそうです。

フィギュアスケートのアイススケートショー「FOI」も。2-3年ごとに静岡県で開催されるのでツアーの定宿になってたりします。
このときの写真の日本人選手は今年で全員引退してしまったなあ・・。ザキトワもいるしロシア選手が普通にいる平和な時代であった。

羽生君だけサインが展示されてました。
荻殿までの回廊
宿泊するのは荻殿という別棟です。

建物と建物をつなぐ外回廊がこれまた美しい日本の伝統美。

廊下のブラウンのタイルは、実は木のタイル。よく見ると年季を感じられるのに木なのに剛健で、しっかり手入れされてます。木にかける情熱をここでも感じました。

途中に露天風呂もある大浴場があります。
温泉ではないのがちょっとだけ残念。
女性だけもう一ヶ所ミストサウナ付きの現代風な大浴場があります。

男性は、この露天風呂付き大浴場のみ。

どことなくフランク・ロイド・ライトismも感じる藤殿。
それもそのはず、北の丸を手がけた建築家の一ノ宮賢治氏はアメリカの「フランク・ロイド・ライト研究所」に留学していたそうです。

しかも「北の丸」建築計画当初は、スペイン風のデザインでまとまるはずだったのだとか!
それが当時のヤマハの会長・川上氏の素晴らしい心変わりで現在のような古民家や日本の伝統を活かした宿泊施設のデザインへと急旋回したそうな。
スペイン風建築であったら、このような風格のある宿泊施設として今も活きていただろうか?と考えると「会長の先見の名は素晴らしいのでは」と個人的に思ったりします。




























